このピアノは、私のピアノではない。
そんないわく付きのピアノが、うちのリビングの真ん中に陣取っていた。
私は、当初からこのピアノを置くことを、主人の前だけで反対していた。
が、娘はピアノを前家から来るのを楽しみにしていて、毎日でも弾きたいと言っていた。
思い出のピアノを、12歳の娘の心の安定剤として、受け入れる事にした。
月日は流れ、娘も17歳になり、ピアノも弾かなくなった。
5年間心の中でつっかえていた質問を娘にしてみた。
『このピアノ、まだ弾く?使わないなら捨てても良いかな?』
娘はあっけらかんと『いいよ』と言う。
心が楽になった瞬間だった。
このピアノは、物質的にも大きく圧迫感があり、そして何より精神的負担が大きかった。
私の心の断捨離が済んだ瞬間だった。
二世帯で一緒に住んでいる、義母様が言う。
『一番下の3歳の娘が、ピアノを弾くかもしれないから、捨てるのはもったいないんじゃない?』
私の心の内を知らない『もったいない義母』は、そんな事を言う。
物にはパワーがあり、物とのストーリーがある。
その物を見て、負の感情が芽生えるならば、いくら高かろうが捨てる必要がある。
今回のピアノは、私の一存で、捨てたくても捨てる事のできない案件だった。
「娘とピアノのストーリー」がやっと終わった。