【山伏修行体験】〜後半〜

修行っぽいの、後半戦〜♪

私と夫は、塩船観音寺が行っている『一日駆け込み修行』に参加した。
修行者9名と山伏の方々を合わせ、計13名で高水三山の山頂を目指す。
山頂途中にある『常福院不動堂』で参拝し、山頂目指し再出発した。

途中休憩を挟んだおかげで、足どりが少し軽くなる。
常福院不動堂から山頂までは、たくさんの登山者が訪れているため、すれ違う登山者と挨拶をかわす。
すれ違う登山者は、私たちを物珍しそうに眺める。
中には、写真を撮りだす者もいる。
こちらの修行団体は、先頭に山伏がいて、掛け念仏を大合唱しているためである。
また、出発時と到着時にホラ貝を吹く演出(w)があるので、注目度が高い。

ミッキーのパレード行進気分で山登りをしていると、この山の最大の難所が出現する。

切り立った斜面を登っている感じだ。
一気に、足どりが重くなり、息遣いが荒くなる…。
『はぁ、はぁ、はぁ…、しんどい…』
体中から汗が吹き出す。

そう…、人生なんてそんなもの。
人生論と、登山論が重なる。

この終わりの見えない斜面は、いつまで続くのだろうか…。
キツく、辛く、挫折しそうになる壁。
この壁を越えることは出来るのだろうか。
超えたところ、山頂には一皮剥けた私がいるはず…。

疲れがピークを越えると、訳の分からぬ自論が頭の中を駆け巡る。
そんな雑念も頭をかすめるが、最後の最後は無心で頂上を目指す。
体の疲れ、足の疲れも忘れ、無我夢中で登り続ける。
この無心状態が、修行の目指すところだったのではないか、と後になって気づく。

山頂が見えた…。
やっと到着したのだ。
『ブォ、ブォ、ブォーーー♪』
ホラ貝が、喜びの雄叫びをあげた。

天気が良く、澄み渡る青空。
山々の連なりも見渡せ、小さな街も見える。
風が気持ち良く吹き、疲れた体を癒してくれる。

目標を達成した嬉しさで、修行者みな、爽やかな笑顔になる。
嬉しさを噛みしめながら、次はおにぎりを噛みしめる番だ。
みな持参したお弁当を出し、腹を満たす。
山頂でのランチは、『美味しい!』…この一言に尽きる。

山頂というパワースポットで充電した後、下山の時となる。
ホラ貝が『ブォ、ブォ、ブォーーー♪』と、悲しそうに鳴いた。

山伏『下山の方が足に負担がくるので気をつけて下りましょう』
一歩一歩、踏み外さないように、気をつけながら下りる。

ハードな下山が続く。
その途中に、惣岳山の青渭神社奥ノ院に向けて、遥拝所でお経をあげる。
本日3回目のお経に、心と体が気持ち良く溶け込んだ。
お経と、山と、風と、心と体が一体になる気持ち良さだ。

更に下山は続く。
下山の厳しさを打ち消すように、掛け念仏が飛び交う。
『さーんげ、さんげー♪ろっこん、しょ〜うじょ〜う♪』
山伏から掛け念仏が始まり、自分の順番が来るまで、正直ドキドキする。
音程や念仏の順番などは、好きに言って良いとの事。
そんなフリー感があるので、余計、どんな音楽(念仏)にしようか迷ってしまう。

しかし、2回、3回と、自分の番が回って来る度に、どんどん気持ち良くなっている自分がいた。
それはまるで、大自然のステージで、オペラ歌手になった感覚なのだ。
私の念仏(音楽)に対し、皆があとを追って念仏を唱えてくれる。
私が、こぶしの効いた念仏を唱えると、皆も真似をして、こぶしを効かしてくれる。

後日、夫と掛け念仏について話していると、『後ろから見ていて、かなりハイテンションだったよ。こぶしも効いてたし…w』と私を評価した。

本来の修行の目的である掛け念仏の効果については分からない。
しかし、私が腹の底から声を出し、自然の波長と融合した。
その気持ち良さでアドレナリン全開になり、足の疲れを忘れた。

皆にその効果があったのかは分からないが、帰路は休憩が少なく、皆足どりが早かった。

川のせせらぎを聴きながら、鳥の声も聴こえてくる。
川の水を触ると、冷たく清らかだった。
マイナスイオンをたっぷり吸い、汗ばんだ体を冷やす。

とうとう、修行の最終目的地『天之宮神社』に到着する。

神様に、今日一日の無事を感謝申し上げた。
そして、実りの多い修行体験だった事を報告した。

最後に、修了式が執り行われた。

15時、山伏が最後の挨拶をされる。
『家に帰るまでが、修行である…』
小学校の遠足の時に、聞いた事のあるフレーズである。

いや、むしろ家に帰って終わりでは無い。
『死ぬまでが、修行である…』
そう、自分の心の中で呟いた。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる